りんごについて

【職歴4】税理士事務所で働いていたときの話。

 

仕事振り返りシリーズの第4弾(最後)です。

印刷会社を辞めた私はメンタルが弱っていたためすぐに働く気にはなれず、

職業訓練に通うことにしました。

職業訓練に通っている間はとても楽しくて、弱った心も元気を取り戻すことが出来ました。

そのときの話はまた別の機会に書きたいと思います。

卒業後は税理士事務所に内定を頂きました。

再び事務職に就きました

今までで一番働きやすい職場に巡り合えた

少人数のこじんまりとした事務所で、

税理士の先生もフラットな感じなので、

従業員との距離が近く、けっこう自由な雰囲気でした。

従業員を連れて食事をご馳走してくれることもあり、

周りからは「良いところに勤められて良かったね」と言ってもらえて、

実際今まで勤めた職場の中では一番働きやすいところでした。

私もここでずっと頑張っていこうと思っていました。

転職もこれで終わりにして腰を据えて働きたかったのです。

平穏な日々は長くは続かなかった

勤め始めて1年経った頃にベテランの先輩が退職することになり、

先輩の担当していた業務の大半を私が引き継ぐことになりました。

複雑な処理が必要な案件が多くて、私はあっぷあっぷしながらも、

先輩の代わりをちゃんと務めなければ!と頑張っていました。

1年目は比較的簡単な案件を任されていたので何とかこなせていました。

しかし先輩から引き継いだ仕事は思った以上に難しく、なかなか進みません。

どんどん手付かずの仕事が溜まっていき、焦りが募っていきました。

 

そんなある日、先生に言われてしまったんです。

 

『〇〇会社の入力ずっとやってるし、△△会社の分はまだ手を付けていないようだけど』

『もう少し、スピードアップして欲しい。』

 

別に怒られた訳でもないし、強い口調だった訳でもありません。

普通の人だったら、ちょっと気を付けようと思ったりするくらいで、

深く考えたりしないと思います。

しかし、私はその言葉がずっと頭から離れなくて、

ものすごく落ち込んでしまったのでした・・・。

 

『え?それだけで?』誰もがそう思うと思います。

 

この事務所は私にとって4つ目の職場でした。

それまで勤めてきた職場でも、仕事が遅いと言われたり、

覚えが悪いと言われたりすることが多く、

自分のことを「仕事が出来ない人間」だと思ってきました。

「仕事が遅い」というのは一番気にしていたことだったので、

「スピードアップして欲しい」と言われたとき、

 

『あぁ、ついに言われてしまった』

『ここでもダメだった』

 

と過剰に反応して落ち込んでしまったのです。

それからの毎日、仕事に行くのが憂鬱でした。

『早くやらなきゃ!』と気持ちだけは焦るのに、思ったように進まない。

先生にどう思われているか気になって仕方ない。

 

『私はどこへ行ってもダメな人間だ』

 

と自分を責めてしまい、思いつめたあまり、次第に体調も悪くなっていきました。

胃が痛かったり、お腹を下したり、息が苦しかったり。

自分自身、なぜこんなに引きずってしまうのか訳が分かりませんでした。

鬱病の手前のような状態が3週間ほど続いたのですが、

周りから見ても、私の様子がおかしいということは明らかだったようです。

見かねた先生が声をかけてくれました。

『最近様子がおかしいけど、何があったか教えてほしい。』

私は正直に話すことにしました。

先生はまさか自分が言った言葉が原因とは思ってもいませんでしたが、

『これ以上仕事は増やさないようにするし、

りんごさんのペースで仕事してくれていいから』と言ってくれたのでした。

私のメンタルの弱さでこんなことになってしまい申し訳ないなと思いつつも、

自分の気持ちを吐き出せたことで少し楽になりました。

しかし、数日後・・・。

退職のすすめ

私の話を聞いてから先生もずっと考えていたのでしょう。

数日後、退職を勧められました。

 

・これから迎える繁忙期の途中で倒れられると一番困るし、

 お客さんにも迷惑がかかってしまうということ。

・私の仕事を増やさないということは他の従業員に負荷がかかってしまう。

 すると、他の従業員の不満にも繋がりかねないということ。

 

そういった趣旨のことを言われました。

人が減るのは困るけど、途中で倒れる可能性のある私を雇い続けるのは不安だし、

新しい人を雇った方が建設的だということでした。

そして、「正直この仕事は向いてないと思う」、

「無理して続けるよりも、早めに辞めて違う仕事を探した方がりんごさんの為になるんじゃないか」

とも言われました。

 

数日間考える時間をもらい、私は辞めることを決断しました。

これ以上迷惑をかけられないと思ったし、

「先生は私に早く辞めてもらいたいんだな」という風に受け取ってしまいました。

 

そうして、その3週間後に退職したのでした。