プロフィール

はじめまして!りんごと申します。
当ブログにお越しいただきまして、ありがとうございます!!

私は現在「自分を好きになる」をテーマにブログを運営しています。

自分嫌い歴20年以上の30代女が、自分らしい人生を見つける道中の気付きや学び、考えたことを記録しています。

最近ブログの内容をまとめた電子書籍をリリースしました!!
ご興味ありましたら、こちらに本の内容などを書きましたので、合わせてご覧くださいませ(^^)/

AmazonのKindleで電子書籍を出版しました! 2023年8月3日、自身初の電子書籍をリリースしました。 書籍名はずばり! ネガティブOKで自分を好きになれる本 ...

 

小学校の頃から、周りに受け入れられている感覚がなかった

私りんごは子供の頃から大人しく、言いたいことが言えない性格でした。
人に言われたことを素直に受け入れてしまって、よく傷ついていました。

小学校1年生のとき、喋らなさ過ぎて上級生に『妖怪』と言われたこともありました。

給食の余り物が出たとき、ペアになってじゃんけんで勝った方がもらえるというルールだったけど、私が勝ったのに相手の子に『負けたことにして』と言われて、嫌と言えなかった。

田舎の小さな小学校なので、1学年は20数名。クラス替えはなく、卒業するまで同じメンバー。
仲のいい友だちもいたけど、友だち以外の子とはうまく喋れない。男子なんてもってのほか。

話しかけられない限り、自分から喋ることもない。
そもそも、そんなに話しかけられないけど。

とにかく地味で暗い女の子だった。

陰口を言われることが多かったので、周りにあんまり好かれていないなとは思っていた。

りんご
りんご
そして4年生のとき、それを確信させる出来事が・・。

クラスの係を決めるとき、私は生物係に立候補。
定員が2人のところ3人が立候補したので、「誰がいいか」挙手制の投票で決めることになった。

「りんごちゃんが良い人~?」と先生が聞くと・・。
悲しいことに、誰一人手を挙げる人はいませんでした・・。

時間が一瞬止まったような光景でした。
あれは衝撃的だったなぁ(悲)

小学校時代の『周りから受け入れられていない感覚』が、
わたしの自己肯定感の低さのベースにあると思う。

 

『自分なんかいない方がいい』と思いつめた中学時代

田舎の中学校のため、部活はバレー・バスケ・テニスしかなく、強制的に入部させられます。帰宅部は許されません。

一番ラクそうなテニス部に入ったものの、運動オンチのわたしにとって、どれだけ地獄だったか・・。

下手すぎて、他校との練習試合でさえ1回も勝ったことがありません。
わたしとペアを組むと絶対に負ける。

周りに迷惑をかけている事実が辛くて、
自分なんかいない方が良いと思うようになりました。

自分なんか死んだ方が世の中のためだと思っていた。

自分には価値がないと、卑下するようになったのは中学時代の部活がきっかけ。

 

対人恐怖と孤独に苦しみ、自分を出せなくなった高校時代

楽しい高校生活を夢見て入学したのに、現実は暗黒の高校時代となってしまった。

高1のクラスは、運が悪いことに問題児が集まったクラス・・。
担任いびりが横行していました。

1学年40人だった小さな中学校から、1学年300人近い高校へ進学したので、その時点で規模の違いに圧倒されているのに、クラスは怖い人ばかり・・。

わたしは完全に委縮してしまいました。

いつもビクビク、オドオドしてて、廊下を歩くときはずっと下を向いてました。顔を上げるのが怖くって。

『野ブタ。をプロデュース』の、まさに野ブタみたいな感じ。

高2で平和なクラスになったものの、委縮状態を引きずってしまったわたし。
新しいクラスも、いつの間にかグループができていて、気づけば独りぼっち。

休み時間、特に昼休みなんて地獄だった。
隣の席の子の周りには人がいっぱい集まって、わいわい楽しそうにお喋りしてる。

それに引きかえ、独りのわたし。

喋りかけるなんて絶対に出来ないから、読書したり、勉強して孤独を紛らわすことしか出来なかった。

りんご
りんご
しかも、辛いことに、トイレに行って戻ってきたら自分の席に誰かが座ってるんだよなぁ(泣)

高1で委縮してしまって以来、わたしはいつの間にか自分を出すことができなくなった。

心の中は楽しかったり嬉しくても、それを外に表現することが出来ずに、他人から見れば常に同じテンション。

中学時代までは、友だちといるとき限定だけど、割と素に近い自分でいられた気がするし、
冗談言ったり、楽しいときはその気持ちをちゃんと表現できていたのに。

どうして自分は他の皆みたいに友だちを作れないんだろう。
自分の気持ちを表現して、人と共有できないんだろう。
どうしてこんなにも喋れないんだろう。

かぶりたくもない猫をかぶってしまう。
上辺だけの会話になってしまう。
友だちでさえ。

家族といるときみたいに素を出せたらいいのに。

こんなの本当の自分じゃない!

外での自分と、素の自分とがあまりにも違いすぎて。
そのギャップが苦しかった。
自分の性格が恨めしくてたまらなかった。

友だちでさえうまく関われなくなり、自分を生きている感覚を失ってしまった高校時代だった。

 

大学時代、自分を変えようと努力したけれど

人見知りで大人しい性格の自分をとにかく変えたかった。

部員180人のサークルに入って人への苦手意識を克服しようとした。
イベントでは副リーダーに立候補して、人前に立ったりコミュニケーションが必要な状況に飛び込んだりもした。

大学1年の前期だけで、高校3年間分、人と喋ったと言っても過言ではない。

大学の同期も先輩もみんな優しくて、『私はここにいてもいいんだ』と初めて思えた。

接客のバイトにも挑戦した。
海外ボランティアに参加して、初海外で一人でメキシコに行き、他国の人と寝食を共にするという未知の体験もした。

大学3年の時はサークルでリーダー職につき、人前に出ること・部員をまとめることにも挑戦した。

自分を変えたい。その一心で。

それでも。
いろいろ挑戦してみたものの、引っ込み思案で人見知りな性格は変わらなかった。

やっぱり『自分を出す』ということが出来ない。
無意識で、自分を抑えてしまう。

作り物の、自分。

『本当の自分』で人と接することが出来たら、もっと深い付き合いもできただろうなぁ。

こんな自分じゃなければ。

高校時代とは比べ物にならないくらい、人と喋れるようにはなったものの、根幹は変わっていない気がした。

わたしは自分とは別のものになりたいのに。

 

どこへ行ってもダメな人間だと自覚した社会人生活

わたしは転職を繰り返し、職歴は6社。(2023年現在)
とにかく続かない。
長くて3年8ヵ月、短くて5ヵ月。

新卒で入った東京の会社では事務職に就いた。
同じ部署の社員は全員同じタイムスケジュールで、同じ量の書類をこなす。

なので、仕事が速い人と遅い人の差が歴然。
わたしはとにかく遅かった。

だから、毎日先に終わった人がわたしを手伝ってくれていた。
自分が迷惑をかけているのがいたたまれなかった。

りんご
りんご
あぁ、中学のときの部活と似ているなぁ・・。デジャヴ。

電話応対も下手で、うまくこなせない。
相手を怒らせることもしばしば。

評価を下げられて、給料も下がったし・・。

仕事が辛くって、鬱状態になって、結局辞めてしまった。

地元に帰って就職した職場では、先輩に目を付けられた。
オドオドした態度がいけなかったんだと思う。

きつく当たられたり、理不尽な言葉を浴びせられたり、仕事の無茶ぶりをされたり。
また、ここでも病んでしまい、周りが心配するくらい痩せてしまった。

お客さん対応時にうまく立ち回れなくて怒らせてしまうことも・・。

りんご
りんご
対人スキルが低すぎるし、何をやってもうまくいかないんだな、わたしは。

3社目の印刷会社では、未経験だったけどやる気があるならということで、DTPデザイナーとして入社した。

デザインソフトの使い方や印刷の知識を勉強しながら、目の前の仕事に一生懸命取り組んでいたつもりだったけれど・・。

5ヵ月目に社長に『成長が遅い。このままでは会社として都合が悪い』と怒られてしまった。

しかも他の社員もいる前で。

社長がわたしを見る度にダメ出しをしてくるので耐えられなくなり、また辞めてしまった。
このときもかなり精神状態は崩壊していた。

りんご
りんご
あ、なんかわたし、
今までの3社とも、全部病んでるぞ・・?

こんなにメンタル弱いんじゃ、転職してもすぐに辛くなって辞めちゃうんじゃないか・・?
この先あと何十年もまともに働いていけるの?

わたしはこのとき、初めて将来に不安を抱いたのでした。

印刷会社での出来事はだいぶトラウマだったので、職業訓練という名のリハビリを経て、税理士事務所へ転職。

4つめの職場。

りんご
りんご
今度こそ、長く働くんだ!
もう転職人生は終わりにするぞ!

と思っていたのに・・。

1年を過ぎたころ、ベテランの先輩が退職し、わたしが仕事を引き継ぐことになりました。

仕事の難易度が一気に上がって、仕事をさばくスピードが格段に落ち、書類がどんどん溜まっていきました。

そして、見かねた税理士の先生に言われてしまったんです。
『もうちょっとスピード上げてほしい』って。

あぁ、ここでも言われてしまったなぁ。
やっぱりどこに行っても仕事が遅いんだ。

自分でもびっくりするくらい、先生の言葉を引きずってしまい、わたしはまた病み始めました。

明らかに様子がおかしいと周りも気付くぐらい落ち込んでしまい、ついには先生に退職を勧められてしまったのでした。

そうして、再び仕事を辞めることになってしまったのです。

不安的中。

やっぱりどこに行ってもダメじゃないか。
わたしは社会に適応していないのかな・・。
年々メンタルが弱くなっていくし、もうどこも働ける気がしない。

働くのが怖い。
これ以上トラウマを増やしたくない。

あぁ、ニート街道まっしぐらだ。
社会人向いてないよ。

いや、人間向いてない。
生きるの向いてない。

とうとう、楽な死に方を検索する始末です。

 

人生どん底でブログをはじめる

そんな中辿り着いたブログに『引きこもり期間中はブログを書くことがおすすめ!』と書いてあったんです。

その方は、無職期間中にブログを始めて、自分の存在が誰かの役に立っているということを実感し、社会復帰に繋がったとおっしゃってました。
今はブログ運営を仕事にされています。

人生で悩んできたこと、工夫してきたこと、勉強してきたこと。
そういうのを発信していくことで開ける人生もあるんだなぁと。

同じような性格で悩み、同じような状況を経験されてきた方だったので、余計に共感しました。

わたしもブログをやってみたい。
わたしの言葉が誰かの役に立ったら嬉しいな。

そんな思いでブログを始めることにしました。

 

ブログを始めてから、見つけた自分の夢

冒頭でお話した通り、私は現在「自分を好きになる」をテーマにブログを運営しています。

しかし、ブログ立ち上げ当初はテーマは特に決まっていなくて、「無職になって辛い」だとか、「働くのが怖いだ」とか、病んだ日記ばかりを書いていましたw

小学生時代から社会人に至るまで、ことごとくうまくいかなかった私。

「どうやったら生きやすくなるだろうか」と常に模索していたので、自然とブログの内容も自己肯定感やメンタルの話が増えていきました。

そうやってブログを書いていく中で、
「自分を好きになる」はずっと私の人生のテーマだったと思い出したのです。

本などで得た知識や、友人・知人との語らいの中で楽になった考え方などをブログに綴っていくうちに、読者さんからもメッセージをいただくことが増えていきました。

「心が救われました」

「涙がでてきました」

「自分の闇を受け入れることがやっとできました」

自分の体験談を読んで共感してくれたり、
救われたと言ってくれる人がいる。

自分には価値がないと思っていたけれど、
誰かの力になれたことが、とてもとても嬉しく感動しました。

自分の人生のテーマだった「自分を好きになる」を
もっともっと深めていきたいと思いました。
もっともっと多くの人に伝えていきたいと思いました。

イラストと言葉で、自分を好きになれるお手伝いをすること。

これが今の私の夢です。

 

ネガティブな感情も過去も抱きしめて

今まではずっと、

人間向いてない。
生きるのが向いてない。

どうせわたしの人生はうまくいかない運命なんだ。

もう人生で幸せになることは諦めよう。

”わたし”として生きる限り、人生終わってる。

そう思ってました。本気で。

そんな私が変わって来られたのは、
「ネガティブがあってもいい」という考え方に出会えたのが大きいです。

自分の嫌いな性格、ネガティブな感情。
ずっと消そうとしていたけれど、ネガティブへの見方が変わったとき・・。

 

ネガティブなものも、私の大切な一部。

 

りんご
りんご
それらがあるから自分なんだ。
こんな自分だからこそ、できることがあるんだ。

と思えるようになっていきました。

私もまだまだ自己嫌悪したり、
自信がないと落ち込むこともたくさんあるけれど。

だからこそ、これからも学びや気付きを発信していけると思っています。

過去の私と同じように悩んでいる人に、私の過程が少しでもお役に立てたら嬉しいです。

 

ブログ名に込めた想い

最後に、ブログ名「自分を好きになる マイレシピ」に込めた想いをエッセイにしたので掲載します。

悩みはたくさん尽きないかもしれないけれど、それもあなたにしかない大切な一部。

いつの日か、誰かを笑顔にしたり、背中を押せたりできます。きっと。

私自身もそう信じて、これからもブログを綴っていこうと思います。

 

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!