プロフィール

はじめまして!りんごと申します。
当ブログにお越しいただきまして、ありがとうございます!!

このブログは、ざっくり言うと、
自己肯定感の低すぎるアラサー女が、自分らしい人生を見つける道中の気付きや学び、考えたことを記録しているブログです。

小学校の頃から、周りに受け入れられている感覚がなかった

子供の頃から大人しい性格で、言いたいことが言えない性格でした。
人に言われたことを素直に受け入れてしまって、よく傷ついていました。

小学校1年のとき、喋らなさ過ぎて上級生に『妖怪』と言われたこともありました。

給食の余り物が出たとき、ペアになってじゃんけんで勝った方がもらえるというルールだったけど、私が勝ったのに相手の子に『負けたことにして』と言われて、嫌と言えなかった。

田舎の小さな小学校なので、1学年は20数名。クラス替えはなく、卒業するまで同じメンバー。
仲のいい友だちもいたけど、友だち以外の子とは、うまく喋れない。男子なんてもってのほか。

話しかけられない限り、自分から喋ることもない。
そもそも、そんなに話しかけられないけど。

とにかく地味で暗い女の子だった。
陰口言われることが多かったので、周りにあんまり好かれていないなとは思っていた。

そして4年のとき、それを確信させる出来事が・・。

クラスの係を決めるとき、私は生物係に立候補。
定員が2人のところ3人が立候補したので、「誰がいいか」挙手制の投票で決めることになった。

「りんごちゃんが良い人~?」と先生が聞くと・・。
悲しいことに、誰一人手を挙げる人はいませんでした・・。

時間が一瞬止まったような光景でした。
あれは衝撃的だったなぁ(悲)

小学校時代の『周りから受け入れられていない感覚』が、
わたしの自己肯定感の低さのベースにあると思う。

『自分なんかいない方がいい』と思いつめた中学時代

田舎の中学校のため、部活はバレー・バスケ・テニスしかなく、強制的に入部させられます。帰宅部は許されません。

一番ラクそうなテニス部に入ったものの、運動オンチのわたしにとって、どれだけ地獄だったか・・。

下手すぎて、他校との練習試合でさえ1回も勝ったことがありません。
ペアの相手は何回か変更するけど、わたしと組むと絶対負ける。

周りに迷惑をかけている事実が辛くて、
自分なんかいない方が良いと思うようになりました。

自分なんか死んだ方が世の中のためだと思っていた。

自分には価値がないと、卑下するようになったのは中学時代の部活がきっかけ。

対人恐怖と孤独に苦しみ、自分を出せなくなった高校時代

楽しい高校生活を夢見て入学したのに、現実は暗黒の高校時代となってしまった。
高1のクラスは、運が悪いことに、問題児が集まったクラス・・。
担任いびりが横行していました。

1学年40人だった小さな中学校から、1学年300人近い高校へ進学したので、その時点で規模の違いに圧倒されているのに、クラスは怖い人ばかり・・。

わたしは完全に委縮してしまいました。

いつもビクビク、オドオドしてて、廊下を歩くときはずっと下を向いてました。顔を上げるのが怖くって。

『野ブタ。をプロデュース』の、まさに野ブタみたいな感じ。

高2で平和なクラスになったものの、委縮状態を引きずってしまったわたし。
新しいクラスも、いつの間にかグループができていて、気づけば独りぼっち。

休み時間、特に昼休みなんて地獄だった。
隣の子の周りには人がいっぱい集まって、わいわい楽しそうにお喋りしてる。

それに引きかえ、独りのわたし。

喋りかけるなんて絶対に出来ないから、読書したり、勉強して孤独を紛らわすことしか出来なかった。

しかも、辛いことに、トイレに行って戻ってきたら、自分の席に誰かが座ってるんだよなぁ(泣)

高1で委縮してしまって以来、わたしはいつの間にか自分を出すことができなくなった。

心の中は楽しかったり、嬉しくても、それを外に表現することが出来ずに、他人から見れば常に同じテンション。

中学時代までは、友だちといるとき限定だけど、割と素に近い自分でいられた気がするし、
冗談言ったり、楽しいときはその気持ちをちゃんと表現できていたのに。

どうして自分は他のみんなにみたいに友だち作れないんだろう。
他のみんなみたいに、自分の気持ちを表現して、人と共有できないんだろう。
どうしてこんなにも喋れないんだろう。

かぶりたくもない猫をかぶってしまう。
上辺だけの会話になってしまう。

友だちでさえ。

自分を出すことが怖くなってしまった。

家族といるときみたいに素を出せたらいいのに。

こんなの本当の自分じゃない!

家族以外の人と接するときの自分と、素の自分とがあまりにも違いすぎて。そのギャップが苦しかった。

自分の性格が恨めしくてたまらなかった。

友だちでさえうまく関われなくなり、自分を生きている感覚を失ってしまった高校時代だった。

大学時代、自分を変えようと努力したけれど

人見知りで大人しい性格の自分をとにかく変えたかった。

部員180人のサークルに入って人への苦手意識を克服しようとした。
寮のイベントでは副リーダーに立候補して、人前に立ったりコミュニケーションが必要な状況に飛び込んだりもした。

大学1年の前期だけで、高校3年間分、人と喋ったと言っても過言ではない。

大学の同期も先輩も、みんな優しくて、『私はここにいてもいいんだ』と初めて思えた。

接客のバイトにも挑戦した。
海外ボランティアに参加して、初海外で一人でメキシコに行き、他国の人と寝食を共にするという未知の体験もした。

大学3年の時は、サークルでリーダー職につき、人前に出ること・部員をまとめることにも挑戦した。

自分を変えたい。その一心で。

それでも。
いろいろ挑戦してみたものの、引っ込み思案で人見知りな性格は変わらなかった。

やっぱり『自分を出す』ということが出来ない。
無意識で、自分を抑えてしまう。

作り物の、自分。

『本当の自分』で人と接することが出来たら、もっと深い付き合いもできただろうなぁ。

こんな自分じゃなければ。

高校時代とは比べ物にならないくらい、人と喋れるようにはなったものの、根幹は変わっていない気がした。

わたしは自分とは別のものになりたいのに。

どこへ行ってもダメな人間だと自覚した社会人生活

わたしは転職を繰り返し、2022年現在、5社目で働いている。
とにかく続かない。長くて3年8ヵ月、短くて5ヵ月。

新卒で入った東京の会社では事務職に就いた。
同じ部署の社員は全員同じタイムスケジュールで、同じ量の書類をこなす。

なので、仕事が速い人と遅い人の差が歴然。
わたしはとにかく遅かった。

だから、毎日先に終わった人がわたしを手伝ってくれていた。
自分が迷惑をかけているのがいたたまれなかった。

あぁ、中学のときの部活と似ているなぁ・・。デジャヴ。

電話応対も下手で、うまくこなせない。
相手を怒らせることもしばしば。

評価下げられて、給料も下がったし・・。

仕事が辛くって、鬱状態になって、結局辞めてしまった。

地元に帰って、就職した職場では、10年以上勤務している4つ上の先輩に目を付けられた。

きつく当たられたり、理不尽な言葉を浴びせられたり、仕事の無茶ぶりをされたり。

また、ここでも病んでしまい、周りが心配するくらい痩せてしまった。

仕事においても、お客さん対応時にうまく立ち回れなくて怒らせてしまったり。

対人スキルが低すぎる。
仕事も遅いし、何をやってもうまくいかないんだな、わたしは。

3社目の印刷会社では、未経験だったけどやる気があるならということで、DTPデザイナーとして入社した。

デザインソフトの使い方や印刷の知識を勉強しながら、目の前の仕事に一生懸命取り組んでいたつもりだったけど、5ヵ月目に社長に『成長が遅い。このままでは会社として都合が悪い』と言われてしまった。

しかも他の社員もいる前で。

社長がわたしを見る度に暴言を吐くので、耐えられなくなり、また辞めてしまった。
このときもかなり精神状態は崩壊していた。

あ、なんかわたし、
今までの3社とも、全部病んでるぞ・・?

こんなにメンタル弱いんじゃ、転職してもすぐに辛くなって辞めちゃうんじゃないか・・?
この先あと何十年もまともに働いていけるの?

わたしはこのとき、初めて将来に不安を抱いたのでした。

社長の暴言はだいぶトラウマだったので、職業訓練という名のリハビリを経て、税理士事務所へ転職。

4つめの職場。今度こそ、長く働くんだ!
もう転職人生は終わりにするぞ!

と思っていたのに・・。

1年を過ぎたころ、ベテランの先輩が退職し、わたしが仕事を引き継ぐことになりました。
仕事の難易度が一気に上がって、仕事をさばくスピードが格段に落ち、書類がどんどん溜まっていきました。

そして、見かねた税理士の先生に言われてしまったんです。
『もうちょっとスピード上げてほしい』って。

あぁ、ここでも言われてしまったなぁ。
やっぱりどこに行っても仕事が遅いんだ。

自分でもびっくりするくらい、先生の言葉を引きずってしまい、わたしはまた病み始めました。

明らかに様子がおかしいと周りも気付くぐらい落ち込んでしまい、ついには先生に退職を勧められてしまったのでした。

そうして、再び仕事を辞めることになってしまったのです。

不安的中。

やっぱりどこに行ってもダメじゃないか。わたしは社会に適応していないのかな・・。
年々メンタルが弱くなっていくし、もうどこも働ける気がしない。

働くのが怖い。
これ以上トラウマを増やしたくない。

あぁ、ニート街道まっしぐらだ。社会人向いてないよ。

いや、人間向いてない。
生きるの向いてない。

とうとう、楽な死に方を検索する始末です。

人生どん底でブログをはじめる

そんな中辿り着いたブログに『引きこもり期間中はブログを書くことがおすすめ!』と書いてあったんです。

その方は、無職期間中にブログを始めて、自分の存在が誰かの役に立っているということを実感し、社会復帰に繋がったとおっしゃってました。
今はブログ運営を仕事にされています。

人生で悩んできたこと、工夫してきたこと、勉強してきたこと。
そういうのを発信していくことで開ける人生もあるんだなぁと。

同じような性格で悩み、同じような状況を経験されてきた方だったので、余計に共感しました。

わたしもブログをやってみたい。
わたしの言葉が誰かの役に立ったら嬉しいな。

そんな思いでブログを始めることにしました。

記事更新を続けていく中で、『記事が非常にわかりやすかった』との言葉をもらえたこともありました。

そして、私のブログがきっかけでとある決意をし、お礼のメールまで頂いてしまったのです!

誰かの役に立ってほしい~!!とかなり熱を入れて書いた記事だったので、すごく嬉しかったです。

ブログを始めてから前向きになれた

ブログを始めてから、

自分がやりたいことは何だろう?
自分に出来ることは何だろう?

と考えることが増えたように思います。

ほんの数ヵ月前まで、死ぬことばかり考えていたのに(笑)
自分で言うのも何ですが、この変化はすごくないでしょうか??(笑)

そして、最近ではなんと、長年悩んできた「自分が嫌い」が「好き」にまでなってきたのです。

 

今まではずっと、

人間向いてない。
生きるのが向いてない。

『どうせわたしの人生はうまくいかない運命なんだ』

『もう人生で幸せになることは諦めよう』

『”わたし”として生きる限り、人生終わってる』

そう思ってました。本気で。

 

ですが、少しずつ自分を受け入れられるようになってきて、自分のことを好きだと感じる時間が増えていきました。

「これが自分」、「自分は自分でいいんだ」と受け入れられるようになってくると、苦しい努力をしなくてよくなるし、自分を攻撃することも減っていきます。

こんな自分のままじゃ幸せになれない・・・とずっと思ってきたけれど、考え方が変わったことで、本当に心が楽になりましたし、人生に希望を見出せるようになりました。

何をしても自分を好きになれなかった私が、自分を受け入れて好きになって生きやすくなったのです。

なので今度は、過去の私と同じように悩んでいる人に、私の過程がお役に立てれば嬉しいなと思って、このブログで発信しています。

そんな想いを込めてブログタイトルも「マイレシピ」と名付けました。

 

私のブログが少しでもお役にたてれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございました!