先日の投稿で、ガリ勉だった学生時代の話を書きました。
数年前、当時付き合っていた人にガリ勉だった学生時代の話をしたら「目標もないのに勉強してたなんて気持ち悪い」と言われたことがあります。
このときは、勉強を頑張ってきた過去を全否定されたみたいで辛かったのですが、後々考えてみると、「気持ち悪い」という言い方はちょっとひどいけど、この言葉で私は大事なことを気づかせてもらいました。
私は中高時代、学生は勉強を頑張るものだと疑問も持たず、ただ世間的にそうだからと勉学に励んでいたのです。
目指す職業も、やりたいことも特にないのに、です。
私は「自分で考える」ということをしてこなかった。
そう気づかされました。
また、こういうエピソードもあります。
社会人になってからできた友達と話していて高校時代の話題になり、高校時代は文化祭や卒業式等の行事が嫌でよくさぼっていたというのです。
私はこれにも衝撃を受けました。
学校の行事は参加して当たり前で、「さぼる」という発想が今までなかったからです。
さぼることが良いか悪いかの問題は別として、学生の頃から自分の意志で参加するかどうかを決めていたことに、「かっこいい」と思ってしまいました。
私は高校時代、学校が苦痛で、教室の窓から飛び降りてしまいたいと思うほど思い詰めていましたが、それでも学校は風邪を引かない限り行くものだと信じていて、休みたいと思ったことはなかったのでした。
〇〇に言われたから。
〇〇に書いてあったから。
そういうものだから。
世間体が~。
常識で考えると~。
〇〇すべき。
そうやって「自分がどうしたいか」考えることを放棄して生きてたんだなぁと、大人になってから気づいたのです。
無意識に自分の外の声ばかり聴いていたので、自分の「やりたい」「こうしたい」「これはしたくない」という本音が見えなくなっていきました。
周りと違っていると自分はおかしいんじゃないかと不安で、周りに合わせた行動ばかりを取っていきました。
「正しい」「正しくない」の判断を自分の外に求めてきたので、違和感があったり、苦しかったりしました。
そうやって自分を見失っていったのだと思います。
自分に自信がなかったから周りの意見に耳を傾けすぎた、という面もありますが。
周りばかり気にしてしまうのは、生き方の癖のようなもので、直すのはなかなか難しいとは思います。
それでも、自分らしい人生を歩むために、まずは自分の心の声を聞いてあげることから始めたいと思います。